例 会 記 録

   平成29年9月例会(第896回例会)と   

      子規第116回子規忌法要並びに物故会員法要 

      9月19日(火)13:30~於正宗寺

<子規法要>

 子規・漱石・碧梧桐が生まれて150年にあたる今年は、全国的に盛大な行事が行われている。

松山子規会では、子規の祥月命日の9月例会の前に、正宗寺の子規墓前で第116回墓前祭と本堂で本法要を主催。墓前祭では、田中義雲住職の読経に次いで会員の献句・献歌を森慎吾経理部長が詠み、一同合掌してから本堂に移り本法要が行われた。本法要では、井手康夫松山子規会会長が「今日、松山子規事典の完成を子規の墓前に報告することができたことは誠感慨深く、10年余に及ぶ会員及び関係者のご尽力に感謝する」と挨拶し、印刷が出来上がったばかりの『松山子規事典』第1号を子規の遺影に供えた。(『松山子規事典』の正式披露は10月2日に行われる。発売は10月14日)

 次いで、子規絶筆三句を武田峰松会員が朗詠し、中村時広愛媛県知事(本会顧問)のメッセージ代読後、読経のなかを来賓の子規孫・正岡明氏をはじめ井手康夫会長と出席者が一緒に合掌した。

<9月例会>

 記念講演の講師は正岡明氏で「子規との不思議な縁(えにし)――生誕150年に寄せて」と題して講演。正岡明氏は、正岡家が養子に迎えた母・八重の弟・加藤拓川の子・忠三郎の次男で子規の孫にあたる。講演では「子規の膨大な遺品は、松山市立子規記念博物館などに保管されているが、これには子規の妹・律や関係者の努力と、父・忠三郎が持っていた資料が戦禍を奇跡的に逃れたことが大きく寄与している」と、あまり知られていないエピソードなどを披露した。

 極堂について正岡明氏は、極堂が「子規の枕もとで、母・八重が病気が重い子規を悲しむの聞いて『おばさん、心配しなさんな。升さんは死にませんよ。五十年も百年も生きますよ』というと、傍に寝ていた子規が、オイ馬鹿をいうなといった。私は馬鹿なことではない、一生懸命いうとるのじゃと答えた」と、しみじみ述懐していた逸話を披露し「いかにも幼い頃からの子規の友人としての心の籠った言葉である」と語った。(写真3枚提供=佐伯健編集副部長)

正宗寺の子規墓前で会員の献句を詠む森慎吾経理部長と参拝者
正宗寺の子規墓前で会員の献句を詠む森慎吾経理部長と参拝者
正宗寺本堂の子規遺影に、この日に印刷ができた『松山子規事典』第1号を供える井手康夫松山子規会会長。
正宗寺本堂の子規遺影に、この日に印刷ができた『松山子規事典』第1号を供える井手康夫松山子規会会長。
記念講演で「子規の貴重な資料が多くの人の熱意で保存された」と語った子規の孫・正岡明氏。
記念講演で「子規の貴重な資料が多くの人の熱意で保存された」と語った子規の孫・正岡明氏。

 

松山子規会 8月例会記録

 

 ・     平成29年8月19日() 13:30 正宗寺本堂 出席者34名 

 

卓話 「子規から茂吉へ」(上)  会員 山上茂次郎

 

 山上茂次郎氏は、四国中央市土居町からご出席。義父・山上次郎氏著『斎藤茂吉の生涯』や『斎藤茂吉全集』を丹念に読み解きながら発表された。茂吉は、貸本屋で借りた『竹の里歌』を読んで驚嘆し書き写す。生涯を通して子規を「先覚」と称して讃仰してやまなかったことなどを、誠実な語り口で強調された。次回のご発表にも期待したい。 

 

 

講演 「三津の俳諧」   経理部長 森 愼吾  

 

子規は明治二十年七月、極堂とともに徒歩で三津の大原其戎邸を訪れ、俳句の手ほどきを受けたが、八十歳の其戎は、懇切に礼儀正しく応対した。三津厳島神社の奉納額(父・森元四郎氏が解読し筆記)所収の百句余りから、三津と周辺各地の俳諧の広がりと隆盛の状況を考察された。其戎は、明治十三年に三津に明栄社を設立し、「眞砂の志良邊」を発刊したが、明栄社に集まった人々は、明治二十年当時では松山の497名を中心に県内外で計724名にの上るという。故郷への愛着と先人への敬慕を込めての講演であった。

 

  卓話 山上茂次郎氏         講演 森 慎吾氏                 8月例会場 (正宗寺)


 平成29年7月19日(水)(第894回)

 

講演「漱石と近藤我観」 会員 近藤 元規

 

会員の近藤元規氏が祖父近藤我観について、所蔵している資料を紹介しつつ、祖父や父元家から聞いた話、記憶している事実を淡々と語られた。

 

愚陀佛庵に子規が寄寓していた当時、我観も日参組の一人として子規の指導を受けた。その当時の漱石や子規の様子を事実として語られ、興味深い話であった。

 

漱石が熊本へ赴任するに当たって、我観に贈った句「永き日や」は、広島まで同行した虚子に贈ったとの説もあるが、これは愚陀佛庵に居る時に作ったもので、我観に贈った句であることは間違いない、とされた。

 

 紹介された絵巻物「褌一つで運座」は、極めて興味深く、延齢館での運座の様子、漱石の洋行の際の我観との別れの場面も描かれている。描いた人の名は不明だが我観のことを「先生」と呼ぶ立場の人であることは判る。

 

近藤元規氏の講演からの想像であるが、松山子規会草創期の昭和18年当時の例会は、このような形で直に子規に接する機会のあった者が、その記憶を辿りながら事実について、語っていたのではなかろうか。

 

   平成29年6月例会(第893回)   

 

           6月19日(月) 正宗寺本堂 出席者35名

 

講演「子規の常盤舎舎友  佐伯傳藏」  編集副部長 佐伯  

 

子規の友人・佐伯傳藏(蛙泡)の生涯と俳句等の文芸活動について、常盤舎での活動を中心に解明。傳藏を初め子規や霽月の自筆資料を解読し、多くの資料を活用して内容を構成。傳蔵は常盤舎の文芸グループ(紅葉会)に参加、狂歌・狂句を得意としつつ俳句にも親しみ、子規から高く評価された。兵役後は実業界に転進、写実的な句も多く作ったことを紹介。傳藏の子孫(孫)の立場から、その諧謔味のある人間像や交友関係を鮮明に提示された。

 

平成29年5月例会(第892回)   

 

5月19日(金) 正宗寺本堂 出席者34名

 

 講演 「『はて知らずの記』と子規文学碑」

 

坊っちゃん会顧問 高村 昌雄

 

 長年の、全国各地の子規文学碑探索の体験を基に「はて知らずの記」に関わる文学碑を紹介。子規の行程やコースに従い子規の足跡を辿りつつ文学碑を探訪。子規が訪れた状況、句碑建立の経緯や場所等を副碑や説明板も加えて詳細に紹介。資料として碑の分布図やカラーによる画像、加えて自らの画による30数編の「イラスト」資料も提示された。東日本大震災による状況の変化の追跡調査も周到に準備された。

平成29年4月例会(第891回)

 

4月19日(水) 子規記念博物館 出席者49名

 

 講演 「子規の新体詩」       副会長 今村 威

 

冒頭で、子規は新時代に相応しい詩の探究を目指していた事実を指摘。藤村を頂点とする当時の新体詩壇を批判し子規自ら作詩した経過を解明。明治29年作の「音頭の瀬戸」や「父の墓」の解読を通して子規の新体詩の特徴を、押韻の試み、叙事詩の多いこと、日本の詩歌の発展を考えたことを究明された。結びとして、「花売る歌」が女声3部合唱に作曲され平成19年に松山で初演されたことを紹介された。