子規会と関係ありませんが、ご覧ください。

松山名物「電車の日本唯一の交差点!」

 郊外電車(左)と市内電車(右)が平面で直角に交わる“日本でただ一つの交差点“です。

 鉄道ファンがよく写真をとっています。

 場所=松山市大手町 2両とも伊予鉄道の電車。ホームページ取材中に偶然撮れました。

「愚陀佛庵」復元へ進むか

 

 病気療養のため松山へ帰った子規は明治28年(1895年)8月25日、松山中学校の英語教師をしていた夏目漱石の下宿に入り込む。漱石は2階。子規は1階。1階では毎日のように俳句の仲間が句会を開き、漱石も仲間に入り句作に熱中し始めた。二人がともに過ごした愚陀佛庵での52日間は後年、子規が俳句で、漱石が小説で日本文学の巨頭となった源泉といえる。

 愚陀仏庵は昭和20年(1945年)7月26日、米軍の空襲で焼失。その跡地は飲食店(天ぷら屋)から不動産会社の所有に代わり現在、駐車場になっている。愚陀仏庵の復元を願う市民の声で、松山城のふもとにある萬翠荘(旧久松邸)の山手に再建されたが水害で崩壊。現在は松山市立子規記念博物館内にその一部が姿が展示されているのみである。

 愚陀佛庵を元の場所に復元したいという願いは終戦後、柳原極堂らが中心になって働きかけたが、資金の目途がつかないまま時が過ぎた。このたび、跡地を所有する松山市の不動産会社が、復元に協力すると表明して松山市と協議に入ったと新聞で報じられた。跡地は現在、駐車場であり周辺には飲食店などがびっしりと立ち並び再建後、観光客の出入りや俳句を詠む雰囲気にふさわしい場所にするかが課題となる。(写真下)

 

夏目漱石が教え子と再会

 

 夏目漱石の人間ロボット「漱石アンドロイド」が平成29年11月24日、漱石が教えていた松山東高校(当時は愛媛県尋常中学校)の講堂で生徒、父兄、同窓会役員ら約1000人に語りかけた。その後は、生徒の質問に答えたりして会場を沸かせた。

 それに先立ち、同校SGH事業(文科省のスーパー・グローバル・ハイスクール事業指定校)の一環でロンドンを訪問し、漱石下宿跡も見学した同校女子生徒4人が研究発表をした。

 漱石は、下宿・愚陀佛庵で子規との交流から句作に励んだが、「英語の試験の監督中に、俳句の本を読んでいた」と当時の教え子が書いている。

△松山東高の生徒らに話しかける夏目漱石の人間ロボット「漱石アンドロイド」

△ロンドンの漱石下宿跡を訪れた感想を英語で発表した松山東高校の女子生徒4人。