第958回例会以降の記録はこちら⇩⇩⇩
(令和4年12月19日より)
日 時 令和6年2月19日(月)午後1時30分~3時55分
場 所 愛媛新聞社・愛媛電算ビル4階会議室(松山市大手町1-11-4)
卓 話 「子規から佐藤紅緑そして愛子への系譜」 西原ちづ子(本会常任理事)
講 演 「子規が学んだ塾と師ー『千舟学舎』を中心にー」 渡部 平人(本会副会長)
西原ちづ子本会常任理事
佐藤紅緑は高浜虚子、河東碧梧桐、石井露月と並び子規門下四天王と目され、子規が最も愛した弟子であった。子規が残した作品には滑稽な俳句や文章などが多く見られる。その滑稽さを佐藤紅緑から娘の愛子への流れを通して、そして、多くの人たちが子規についてのことを書いている。それらの作品を紹介していただいた。
渡部平人本会副会長
子規が学んだ塾と師を通して、子規がどのように学んできたかを紹介。幼少時に父母からの家庭教育、祖父大原観山に学ぶ、河東静渓私塾「千舟学舎」、浦屋雲林私塾と子規は学んだ。子規はふるさと松山への愛着が極めて強かったが、それは身近に良き塾と優れた師に恵まれたことであったのでしょう。
写真はいずれも越智和彦本会常任理事
日 時 令和6年1月19日(金)午後1時30分~3時30分
場 所 松山市民会館 小ホール(松山市堀之内)
【式次第】 全体進行:田村 七重 (本会常任理事)
年頭あいさつ 松山子規会会長 烏谷 照雄
メッセージ 愛媛県知事 中村 時広様 (代読)松山子規会副会長 松浦 巻夫
松山市長 野志 克仁様 (代読)松山子規会副会長 松浦 巻夫
正岡子規縁者 正岡 明様 (代読)松山子規会事務局長 佐伯 健
例会卓話 「私の好きな子規の俳句」 板倉 卓人氏
< 休 憩 >
新年を寿ぐ
・歌、伊予の湯 今村 威 (本会相談役)
・夢想神伝流居合演武 森 慎吾 (本会理事)
・漢詩朗詠 「祝松山子規会八十年」(松浦巻夫作) 塚本 白嶺(健吾) (本会会員)
・琴、尺八演奏「黒髪」 長谷川象山(本会賛助会員) 福井みどり(本会事務局長)
尺八独演「手向け」 長谷川象山
閉会挨拶 松山子規会副会長 渡部 平人
写真上段 左から■烏谷会長 ■卓話・板倉卓人 ■歌「伊予の湯」今村 威 ■演武・森 真吾
写真下段 左から■漢詩朗詠・塚本白嶺 ■琴、尺八演奏 福井みどり、長谷川象山 (敬称 略)
写真はいずれも越智和彦本会常任理事。
日 時 令和5年12月19日(火)午後1時30分~3時30分
場 所 愛媛新聞・愛媛電算ビル4階(松山市大手町1丁目)
卓 話 「子規の『蕪村風十二ケ月』資料について」松山市立子規記念博物館総館長 竹田美喜氏
講 演 「アメリカにおける子規俳句の受容について」本会常任理事 田村七重氏
「雁がね集 第二」子規書簡中の「蕪村風十二ヶ月」を五百木瓢亭が書き写した資料と、和田茂樹論文1974を紹介し、子規が蕪村研究に踏み出したその第一歩を振り返ろうとするお話をしていただきました。
竹田美喜氏
10月12日から15日まで米国カリフォルニア州モントレー湾を望むアシロマー会議センターで開催された俳句研修への参加及びボストン大学での俳句授業のレポートをしていただきました。
田村七重氏
※写真はいずれも越智和彦本会常任理事
日 時 令和5年11月19日(日)午後1時30分~3時
場 所 正宗寺本堂(松山市末広町16-3)
卓 話 子規博文学散歩 令和5年度春季特別展
『のぼさんのお引越しー住居にみる子規の人生観』編 報告」
本会会員 井上めぐみ氏
講 演 「曾我部一郎(松亭)について」 伊予史談会副会長 柚山 俊夫氏
松山市立子規記念博物館友の会が本年5月22日(月)に実施した文学散歩の様子を紹介いただきました。これは子規博特別展「のぼさんのお引越しの変遷」を辿りながら、子規誕生邸跡、子規堂(子規埋髪塔、鳴雪髭塔)、法龍寺(正岡家累代の旧墓跡・末広学校跡)、子規母堂令妹邸跡、大原観山邸跡を訪ねたものです。
井上めぐみ氏
曾我部一郎(松亭)は「伊予史談会」創立(大正3年5月)の功労者ですが、子規の叔父加藤拓川とのつながりがありました。「伊予史談」第2号で菅菊太郎論考の記述に対して、拓川が指摘をし葉書3枚を使い松亭に送っています。そのことを紹介いただきました。
←柚山俊夫氏
※写真はいずれも越智和彦本会常任理事
日 時 令和5年10月19日(木)午後1時30分~15時
場 所 愛媛新聞・愛媛電算ビル4階(松山市大手町1丁目)
卓 話 「アララギ源流を温ねて『子規庵歌会草稿』実物による検証」
本会会員・松山兎月庵文化歴史館館長 小椋 浩介氏
講 演 「子規門人は子規の俳論をどう読んだかー子規博収蔵書簡ほかの資料からー」
松山市立子規記念博物館 平岡 瑛二氏
一般的に根岸短歌会は正岡子規が主催した短歌結社で、名前は子規庵の住所(東京下谷上根岸)に由来し、子規庵での歌会から始まり、後にアララギ派に発展したとされています。
昭和3年3月子規庵歌会草稿と題された河東碧梧桐直筆の風炉先屏風が見つかり、本日公開されました。さまざまな鑑定条件に合致し、筆跡・筆相などから子規の本歌であると断定されました。
・風炉先屏風の説明をされる小椋館長
子規が発表した俳論がリアルタイムでどう読まれていたか。どのような反響があったのかについての報告でした。
門人たちには好意的・熱狂的に迎えられ子規派を結束・拡大させる役割を果たしたが、文壇全体での議論はさほど高まらなかったようで温度差があったことが窺えることなどを資料に基づき紹介されました。
報告される平岡瑛二氏
※写真はいずれも越智和彦本会常任理事
日 時 令和5年9月19日(火)午後2時30分~4時
場 所 愛媛新聞社1階ホール
対 談 「子規と漱石・不思議な縁(えにし)」 本会顧問 正岡 明氏
俳優 真野 響子氏
子規の妹律の孫である正岡明氏と俳優の真野響子さんが子規と漱石の縁についての記念対談を行いました。参加者58名。この対談に先立って正宗寺(松山市末広町)で子規埋髪塔前での読経、本堂での法要が行われ本会からも出席しました。
日 時 令和5年8月19日(土)午後1時30分~3時30分
場 所 愛媛新聞・愛媛電算ビル4階会議室
卓 話 「松山東雲女子大学・短期大学講座を終えて」本会常任理事 越智 和彦氏
講 演 「子規・漱石の観瀑を巡る人々ー唐岬・白猪の滝と林内・東洋城ー
本会常任理事 岡 多枝子氏
惣河内神社宮司 佐伯 敦氏
令和5年度の松山東雲女子大学・松山東雲短期大学共通講座「正岡子規と伊予の文化」が4月13日から7月27日まで、松山子規会会員が講師となり行われました。その報告を本会の越智和彦常任理事が行いました。そのあと、受講生の中から3人の学生により論考を発表していただきました。
←報告を行う越智和彦本会常任理事
写真(左から)岡多枝子氏、佐伯敦氏
子規・漱石観瀑の里に縁のあるお二人が先人の足跡を辿り紹介しました。正岡子規は明治24年8月、夏目漱石は明治28年11月に唐岬・白猪の滝(愛媛県東温市)を訪れています。そのときに宿泊した近藤家。当主は林内でした。このことを岡多枝子氏が、松根東洋城は東温市河之内にある惣河内神社宮司だった佐伯惟揚(巨星塔)との交流の中で、佐伯家の「一畳庵」に逗留しました。これらのことを巨星塔の孫に当たる佐伯敦氏が講演しました。
※写真はいずれも豊田渉常任理事
日 時 令和5年7月19日(水)午後1時半~3時半
場 所 愛媛電算ビル4階会議室
卓話 「2枚あった!子規最後の横顔写真」
松山子規会会員・元松山市立子規記念博物館友の会職員 阿部 裕子氏
講演 「子規の愛郷心」
松山子規会 相談役 今村 威氏
子規のほの暗い左横顔の最後の写真は、明治33年12月24日に撮られたものですが、その際暗い方向へ向いたものと明るい方向へ向いたものと2枚撮影されました。私たちがよく見ているのは暗いほうを向いた写真ですということを古賀蔵人氏が「子規月報別巻二月報六(昭和50年7月)」で書かれた「子規最後の写真ーまぼろしのもう一枚ーを提示しながら紹介されました。
阿部 裕子氏
「子規の愛郷心」と題し、
正岡子規の業績は、伊予・愛媛の文化の底に流れる「平等思想」の延長線上に位置する。子規の生き方の根底には郷土愛があった。子規が故郷を熱愛したのは単に懐かしいからだけではなく、一体的共生感ともいうべき「平等思想」が流れているからである
と話されました。
今村 威氏
※写真はいずれも越智和彦常任理事。
令和五年 六月例会(第964回)
日時 令和五年六月十九日(月)午後一時半~午後三時半
場所 正宗寺本堂 松山市末広町十六―三
講演 「樗堂の俳諧活動~そのスタートとゴール」
庚申庵倶楽部理事長 松井忍氏
卓話 「正岡の桜考」
本会常任理事 高木貞雄氏
令和5年5月19日(金)午後1時30分~3時半
場所:正宗寺 本堂(松山市末広町16-3)
講演:「子規と盲天外ー天外は子規が与えたのかー
松山市立子規記念博物館総館長 竹田 美喜 氏
結論から言いますと「森に天外時代はない。つまり、子規は天外を与えていない。」ということです。森は「弧鶴」「盲人弧鶴」「盲天外」と名乗り、「天外」は無いということを、丁寧な調査のもとに結論付けられました。
写真:越智和彦本会常任理事
令和5年度 松山子規会総会
日時:令和5年4月19日(水)午後1時30分~2時20分
場所:松山市立子規記念博物館 1階視聴覚室
■令和4年度事業報告、決算報告
・各月例会、「松山子規会80年の歩み」刊行、創立80周年記念例会、「子規の叔父・加藤拓川
展」、子規会誌発行、東雲女子大学講座報告および決算報告は原案通り可決。
■令和5年度事業計画(案)、予算(案)
・各月例会、子規会誌発行、東雲女子大学講座実施は原案通り可決。
【記念講演】午後2時40分~4時
「明治30年代の子規」坪内稔典氏(京都教育大学名誉教授)
写真:会場風景(左上) 烏谷会長あいさつ(右上) 坪内稔典氏の講演(下)
※写真撮影は越智和彦本会常任理事
例会報告 第961回
令和5年3月19日(土) 於:正宗寺本堂
講演 「蕪村句集輪講 春の部を読む」
本会常任理事 松浦巻夫氏
卓話 「秋山真之と子規」
秋山真之令孫 青山芳之氏
例会報告 第960回
令和5年2月19日 於:愛媛社電算ビル4階会議室
講演 山上茂次郎氏 (本会監事)
「アララギ派歌人・泉幸吉(住友吉左衛門)と新居浜」
卓話 越智和彦 (本会常任理事)
「広島県における子規研究」
松山子規会は昭和18年(1943)1月に発足し今年で80年を迎えます。それで今回の第959回は記念例会として開催しました。記念例会の後、続いて記念講演がありましたので、その報告をさせていただきます。
●日 時 令和5年1月19日(木) 13時30分~14時15分
●場 所 東京第一ホテル松山11階ホール、「スカイブリリアン」(松山市南堀端町6-16)
司会は田村七重・本会常任理事が行ないました。
1 お祝い演武・演奏
◆居合演武 森 慎吾(本会理事)
◆尺八演奏「紫礼法」 長谷川象山(本会賛助会員)
◆尺八と琴合奏「鶴の声」 長谷川象山・福井みどり(本会事務局長)
2 挨拶 松山子規会会長 烏谷 照雄
3 ①来賓祝辞(ご挨拶)
◇中村 時広 様 (本会顧問、愛媛県知事)
◇正岡 明 様 (本会顧問、正岡子規縁者)
◇山内 譲 様 (伊予史談会 会長)
②来賓祝辞(メッセージ)
◇野志 克仁 様 (本会顧問、松山市長)
◇半田 美永 様 (本会相談役、東京 子規研究の会会長)
4 「漢詩と和歌」の朗詠
◆漢詩「庚子新年子規会書懐」(嶌川武彦作、本会常任理事)
朗詠 塚本 白嶺(健吾)(本会会員)
◆和歌「鶯のねぐらやぬれんくれ竹の根岸の里に春雨ぞふる」(子規:明治25年3月作)
朗詠 塚本 梅優(康江)
5 閉会挨拶 渡部 平人(本会副会長)
写真:1段◆本会森理事による演武 ◆尺八と琴合唱(福井事務局長と長谷川象山賛助会員)
2段◆烏谷会長あいさつ ◆愛媛県知事あいさつ(代理:岸本憲彦愛媛県参与)
3段◆正岡顧問あいさつ ◆山内伊予史談会長あいさつ
4段◆「漢詩と和歌」朗詠 (塚本白嶺会員:右、塚本梅優様) ◆会場風景
(休 憩)
6 「松山子規会創立80周年」記念講演 14時30分~15時40分
◆講 師 復本 一郎氏(国文学者、神奈川大学名誉教授)
◆演 題 「子規の放棄した文鳳の絵解き一件」
正岡子規は晩年は絵画に傾倒しています。特に高く評価したのが、江戸時代の絵師・河村文鳳(ぶんぽう)の絵でした。
文鳳は街道を往来する人たちを詠んだ「海道狂歌合」(上田秋成著)の下巻に狂歌と対応した画譜を描きました。病床の子規は下巻の絵を独立させた「南岳文鳳手競画譜」を手元に置いて楽しみました。
文鳳の絵全18枚のうち子規が評論を避けた1枚があります。虚無僧笠(こむそうがさ)から顔を出して雨に濡れる男の絵ですが、子規は「何の画とも解しかねるので評をはぶく」と「病床六尺」に書いています。「海道狂歌合」の上巻の解説文を見ていなかったために子規は意味を読み取れなかったのです。上巻には「時雨(しぐれ)空」とあり冬の絵ですが、文鳳は冬なのに笠をわざわざ脱がせています。しぐれは文人にとって風雅の対象で、それに濡れるのは最高の風流だったということです。(参照:愛媛新聞2023年2月4日)
※写真はいずれも越智和彦本会常任理事
例会報告 第958回
令和4年12月19日 於 愛媛新聞社1階ホール
講演 「忽那諸島の句碑など」 豊田 渉(本会常任理事)
テキストを入力してください テキストを入力してください テキストを入力してください